宮崎・椎葉神楽の装束復元も無事に仕上がり、あとは来月の春祭りでお渡しするばかりとなりました!
今回復元するのは戦前(100年以上前)に遡るもので、おそらく現地周辺で布を織り・縫製されたものと推定されます。
それを有志の方から反物のご提供を受け、新しく2領を新調するというものです。
(なおブログでの写真公開はお渡し後とさせて頂きます)
復元にあたっては、可能な限り現存する資料と同じ寸法・素材・縫製にすることを心がけました。
ただ長年による補修により形状や素材が変わったと推定される場所については、当初の形に準じたものです。
こういった復元でまず問題となることは、原料の糸や布が手に入らないこと
使われている大麻布は戦争直後位までは一般的に作られていましたが、その後は途絶してしまいました。
椎葉村も例外ではなく、残念ながら麻の栽培のみならず糸績みや縫製の技術も絶えてしまい、
そこで布をづくりからではなく、伝世した大麻の反物を用いて装束を復元することとなりました。
次に問題となるのは縫い糸と縫製について
幸いにして戦前の仕立てについて熟知している職人さんにツテがあったので、そちらに依頼することに。
昭和元年生まれのお祖母様に8歳の頃から和裁を仕込まれたという熟練の御仁です。
縫い糸についても可能な限り資料に沿ったものにするため、大麻の麻糸を使うことに。
ただ生地感と糸の材質を揃えるために「キリシネ」という反物の織り出し部分から糸を取り、縫い糸にすることにしました
また袖と背縫いの脇に紺の飾り糸があるため、こちらのみ新しい麻糸を準備しました
その飾り糸の制作には宵衣堂も加盟する倭文の会のご協力を頂き、
糸績みは柳町さん、藍染は代表の奥野さん(紺邑さまにて)のもと準備。
通常の織物用より太めに仕上げて頂き、加えて藍染は天然の藍のみを使った正藍染ということにこだわりました
織物として絶えてしまった大麻布が、多くの方のご協力の上で装束となり、
そして椎葉村で次の100年に使われ続けることに、非常に強い意義を感じております。
イチから作れるのであればそれに越したことはありませんが、こうして伝世した反物を使い形を変えることは、
古いモノを現代に生かすことなのだと思います。そういった活動が糸作りや織物の伝承の一助となることを願ってやみません
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