「自然布」という言葉は、
『「ゆふ」を織る-由布院空想の森美術館の古代布復元の記録』(2000,不知火書房)にて
仮称として使われ、別冊太陽『日本の自然布』(2004,平凡社)の発行以降に定着
したものかと思われます。
それまでは「草木布」や「原始布」「古代布」などの言葉も使われてきましたが、
何をもってそれとするかについては全く言及されてきませんでした。
そこで整理を行い、宵衣堂・古代織産地連絡会は以下の様に定義をしております。
我々の回りに存在するもので自然に端を発しないものは何一つとしてありません
しかし自然由来の布全てが「自然布」と言えるのでしょうか?
我々が日常的に身にまとっている木綿も天然繊維ではありますが
現在そのほぼ全ては外国産であり、機械紡績・織布によって作られたものです。
また化学繊維ですら原料である石油自体は天然のものであり、
これらの布は我々の定義からは外れます。
実はほとんどの植物から繊維は取れます。
しかし強度がなかったり、ロープや麻袋の様な粗い布にはなっても、
衣料として人の肌に身につけられるものは数える程しか種類がありません。
私達が何気なく身にまとう素材には、歴史的に使われてきた必然性があり
翻って衣料として用いられなかった素材にもその意味も確かに存在します。
■人と自然、その共生の象徴としての布
では自然と人の関係はどうでしょうか。
かつての日本人は植物を栽培、若しくは山野から素材を入手し、
生活の中で糸を取り、布を織り、身に纏うという事を生活の中で行っていました。
それも一人で出来ることではありません
季節ごとの仕事があり、地域の共同体のもとで必要な作業が行われていました。
また布を作らないまでも、衣類を仕立て綻びを繕い、日々の衣料を賄っていました。
年配の方でしたら庭先で着物の繕いや洗い張りをしたり、
仕立て変えの情景を見てこられた方も多いことでしょう。
そして人の生活に必要なものは全て自然からの頂きもの、
そこには自然への感謝や畏怖の念を自然に懐きます。
私達のご先祖さまは、そんな自然との共生の上に生活をしておりました。
かつての日本人が当たり前に生活してきたそんな世界観は、古臭いと捨てさるべきものでしょうか?土の延長としての自然布があり、人はその布を介して自然と繋がっています。
さらに言えば、人もその土地や自然の一部です。
自然布とは、そのような人と自然の共生の象徴としての布であり、
その内包している世界観は、もはや”自然布の思想”と行っても過言ではないでしょうか。
自然の中に生きる人の営み、それこそ自然布の情景です。
■「自然布の思想」という名の未来への提言
このように、自然布とは過去の遺物などではなく、
現代に生きる思想そのものであると考えています。
それは未来へと繋がるものであり、
これからの時代を生きる一つの指標となるとことでしょう。
物を使い捨てにする世の中は果たして豊かな世界なのでしょうか?
いま私達は経済的な豊かさではなく、心の豊かさを考える時に立ち会っているのではないか。
高額な自然布を購入することは出来なくとも、自ら糸を紡ぎ布にする技術を得たり
そのことを体感することで、自らの生活に対する意識は間違いなく変わります。
昔のままの生活には戻れなくとも、手を動かしその感覚を戻す事は出来るのです。
日本にこのだけたくさんの自然布が遺された事に、必然性があると信じて疑いません。
そして3,11を経験した私達だからこそ、真剣にこれからの社会を考えていかなくてはなりません。
自然布の世界観を知ることで、過去ではなく未来、そして作り手や使い手といった
立場や国すら越えて、私達のこれからの生き方について模索して参りましょう。